楽器はできたほうがいい?
姫野:バイオリンをやると楽しいというお話は以前しました。バイオリンに限らず楽器全般はやると楽しいものなんでしょうね。楽器は何かしらできたほうがいいですか?
結月:さあ、それは断言できませんが、できないよりはできたほうがいいかもですね。わたしは文化系の人間なので、スポーツがまったく駄目です。だから楽器をやっているんですが、スポーツ教室でテニスやゴルフなどをやっているひとだと、スポーツはできたほうがいいっていうんじゃないですかね。多分。
姫野:自分が好きなものをやってもらえると何でもうれしいですものね。
結月:そりゃそうです。仲間になってくれるって感じで。ともかく世の中には楽器以外にもたくさんあるので、楽器ができたほうがいいとは限定しては言えないのですが、興味があるならチャレンジしてみたほうがいいですよね。どんな楽器でもいいので。
楽器をやるメリットは?
姫野:具体的なメリットってありますか? 楽器をやることに。
結月:楽器ができれば、なんかかっこいいですよね。
姫野:それはあります! ピアノ弾けますとか、バイオリン弾けますってかっこいいですよ! 一目置いちゃうみたいな感じで!
結月:楽器にもいろいろありますが、バイオリンは弾けるって言えれば、ポイントは高いですね、イメージ的に。
姫野:個人的には自分の彼女がバイオリンを弾けたら、自慢できます。
結月:まあ、彼氏の自慢のためにバイオリンを始めるひとはいないと思いますが、彼氏の立場としては鼻が高いって感じですか。
姫野:そりゃ、そうですよ。当たり前ですよ。
真剣さの魅力
結月:楽器を弾いているときって、真剣な顔をするので女のひともいつもの表情と違っていいなって思う気持ちはわかります。
姫野:ですよね! ちょっと憧れますよ、そういう姿。
結月:人間って、意外と真剣な顔をしているときって少ないですよね。姫野さんはライターだから原稿を書くときは真剣な顔でやっていると思いますが、普通の会社員をやっているとそんな真剣な表情ってそうないと思いますよ。だって、会社ってやらされる仕事なので、基本。
姫野:確かに。気難しい顔のときはあっても、いい意味での真剣って顔、そんなにないですよね。
結月:わたしはスポーツ音痴なので、オリンピックとかまったく興味がなくて、昨年のリオ五輪も1秒たりとも見ていないんです。でも、多くのひとは中継を見ますよね。あれって、競技そのものに興奮することはもちろんですが、選手たちの真剣な顔が魅力になっている要素ってあると思うんですよ。真剣な顔って美しいし、オリンピックではそんな顔ばかりを連続して見られる。その顔を見たいって意識して見ているひとはほとんどいないにせよ、結果的に見てしまうのは無意識のうちに真剣な表情の美しさに引き込まれているからでないでしょうか。
姫野:言えてますね。そういう真剣さって、きっと日常生活にはないものでしょうし、会社勤めの中ではないと思います。
結月:楽器を弾くときはオリンピック選手のようにテンパるものでないにせよ、音で表現するっていう緊張や快感、そして喜びなんかが楽器を奏でることを真剣にさせます。その表情が美しいですよ。
姫野:では、楽器をやるメリットのひとつとして、真剣さを得られるってことがありますね。
結月:はい。堅苦しい意味ではない真剣なもの。やっぱり本気でやらないと、何でもおもしろくないですから。
教養でなく、やりたいからやる!
姫野:あとはメリット、思いつくものありますか?
結月:ありがちですが、教養が高まるとかってありますよね。特にクラシック音楽は。
姫野:はい。
結月:でも、そういうことはあまり考えなくていいでしょうね。
姫野:どうしてです?
結月:だって、クラシック音楽という教養は少なからず身に付くかもしれませんが、楽器を演奏すること自体は教養とか全然関係ないので。だって、弾いたら楽しいからやっているだけで、メリットを求めようみたいな打算的なものじゃないと思うんですよね、音楽って。「うまいから食ってる」みたいなものじゃないですか。食べ物だって栄養が得られるからって考えながら食べてもおいしくないですよね。おいしいから食べてるのがいいです。
姫野:なるほど。
結月:要は、目的にしないほうがいいと思うんです。このためにやる、みたいな。楽器なんて遊びだから、「やりたいからやる」がいいです。そして、遊びは真剣にやればやるほどおもしろい。そこが会社の仕事と違うところですよ。会社の仕事なんてやればやるほど疲れるだけじゃないですか。
選ぶべき楽器は?
姫野:ですよね。ところで、どうせ楽器をやるならバイオリンがいいと?
結月:楽器は何でも楽しいと思いますよ。管楽器だって打楽器だって、エレキギターだって。それは食べ物の好みと同じように選べばいいと思います。和食や中華やイタリアンやフレンチ、そういった違ったテイストが楽器にもあるということです。その中でわたしはバイオリンをやっているわけで。クラリネットが好きというならクラリネットがいいでしょうし、エレキベースが好きならそれをやるのがいい。
姫野:そんな中で結月さん的にバイオリンをPRするとすれば、どんなところですか?
結月:やっぱり持ち歩けるところでしょうか。ピアノなんて持ち歩けないので。あとチェロほど大きくも重くもないですし。
姫野:チェロを持ち歩いているひとを見ると、大変そうですよね。
結月:わたしみたいな軟弱な人間にはできません。移動するのに体力が要りますから。
姫野:持ち運び以外には何かありますか?
結月:何と言ってもバイオリンには曲のレパートリーがたくさんってところですね。これはバイオリンを始めるひとには必ず言っていることなんですよ。だって、バイオリンは音楽の教科書に載っている作曲家のほとんどがバイオリンのための曲をたくさん書いているので。バイオリン協奏曲はもちろん、バイオリンソナタ、無為伴奏、とにかく一生かかっても弾き切れないほどの名曲が揃ってます。それは夢につながりますよね、これ、いつか弾いてみたいっていう。
姫野:他の楽器だとそんなレパートリーはないんですか?
結月:ソロで楽しめるのはバイオリン、そしてピアノでしょうね。クラリネットやフルートにも協奏曲はありますが、バイオリンに比べるとかなり少ないです。
姫野:協奏曲というと…
結月:例えば、メンデルスゾーンは有名ですよね。ちょっと聴いてみますか。
(結月さん、CDをプレーヤーにセット)
姫野:ああ、これは知ってますよ! すごい有名なやつじゃないですか!
結月:この旋律だけでも弾けるようになったら、感動的ですよ。
姫野:どこかで聴いたことがある曲だと取っつきやすいというか、弾いてみたいって思います。
結月:やはりバイオリンは名曲の数が半端ないので、弾いてみたいと思える曲が簡単に見つかりますよね。とにかくバイオリンはひとりで練習してもおもしろいんです。曲がたくさんあるので。ビオラ弾きの方には申し訳ない言い方になりますが、ビオラは趣味でひとりで始めるにはちょっと向いてないですね。独奏曲がないので。すでに弾けるひとがオーケストラやアンサンブルで弾くというならおもしろいですが。でも、バイオリンならポップスや歌謡曲もバイオリンソロ用に編曲された楽譜などたくさん売っているので楽しみやすいです。
姫野:確かに曲がないと何を弾いたらいいかわかりませんね…
音楽があるか、ないかでは?
結月:あとはやっぱり音楽が生活にあったほうがいいとは思います。音楽をやっているひとは体中の細胞から音が響いているのがわかります。わたしはひとに会えば、初めてのひとでも「このひとには音があるな」とか「このひとは音楽を聴かないひとだな」ってすぐにわかります。波動でわかるんですよ。
姫野:ホントですか!?
結月:音楽は波動ですからね。音は周波数です。だから、音楽に接していると、音楽的な雰囲気が出てきます。で、音楽が体から鳴っていると、不思議と人間って色っぽくなるんですよ。性的な意味ではなく、いいものが漂うっていうか。
姫野:カラオケじゃ駄目ですか?(笑)
結月:カラオケでは駄目です。カラオケは見よう見まねで声を出しているだけなので、あんなものは音楽ではありません。音楽は楽譜を読み込んで、楽器を通して音として創り上げていく。さらに演奏者の情念などで色付けされ、アンサンブルではハーモニーで響き合うものです。自分の内側から湧き出るものを音にして美しく奏で、演奏者同士、さらにはそれを聴くひとと音の美しさを共有するのが音楽です。カラオケとはまったく別物です。
姫野:なるほど。内側から来るものを音楽で表現する。それをやると人間的に色っぽくなるっていう理屈はわかるような気がします。
結月:一口に音楽と言ってもいろいろありますが、ジャンルがどうというより、上質な音楽に接する、上質な音楽を自分に取り込むって大事だと思うんですよ。ベネズエラで「エル・システマ」っていう有名なプログラムがあって、それは貧困層の子供たちに音楽教育を施して、犯罪に向かないようにしているんです。その試みはとても成功していて、そのプログラムでは子供たちが演奏するオーケストラもできています。音楽がなければ貧困層の中で犯罪者になっていただろう子供たちってとても多いと思います。日本では想像できないでしょうが。
人間にとって大事な情緒
姫野:情操教育ですよね。
結月:はい。日本は社会が平和なほうだし、世界的な水準から見れば経済力もあるので貧困による犯罪ってそれほど大きくはないですが、その反面、学校教育では情操教育がとても疎かになっていると思います。
姫野:情操教育から得られるものが、人間的な色っぽさなのかもしれませんね。
結月:科学や合理的なものって、教えるのが簡単なんですよ。それらは理屈でできているので。ところが人間の心とか情緒といったものは不合理なものだし、成り立った公式でどうこうできるものではありません。ピアノの自動演奏って感動しませんよね? あれは人間の情緒がないからで、つまり色っぽさがないからです。ところが自動演奏的な人間ってすごく増えていると思うんですよ。今の通り魔事件とか見ても、犯罪の思考が機械的で一見すると合理的なんです。本当は欠陥だらけの合理性なんですが、情緒がないんですよね。昔の犯罪って、情緒がいきり立ってやっちゃうみないなものだったと思うんですが、今は逆です。それは人間的な色っぽさの不足ですよね。
姫野:やはり音楽は必要?
結月:犯罪という大げさなものでなくても、日々の仕事に疲れて、精神的に参っているひとは多いです。鬱病だって珍しくないですし。それは世の中に色っぽさがなくて、合理的すぎる正論みたいなものを押し付けられているからだと思います。理屈はわかるけど、無理だよっていうものをごり押しされている。でも、結局無理なことを力づくでやろうとするから、精神が破綻してしまう。
姫野:以前、問題になった牛丼店のチェーンもひとりでこなせないような仕事を合理化の中で無理なのにやらされていたっていうことですものね。
結月:そこにちゃんと人間的な情緒が働いていれば、そんな無理強いは起きないはずなんですよ。でも、決まったことだから、みたいな理屈でやらされる。電子ピアノは楽譜を打ち込めばその通りに自動演奏するかもしれませんが、人間はそうはいきません。でも、社会がそうなってしまっているので、どこかで情緒を自分の精神に補給してやる必要がある。それが楽器を弾くことであったりするんじゃないですかね。上質の音楽を自分に取り込み、そしてそれを演奏するという。
姫野:確かにそうですね、でも、今日は最後は重い話になりました。まとめると、バイオリンを弾けってことでいいですかね!?
結月:まあ、それは乱暴すぎますが、自分に飽きたらバイオリンを弾け!ってことでどうですか? 日々、会社で仕事をしていたら、自分に飽きてくると思うので。最悪なのが仕事で疲れたから週末はずっと家で寝てるみたいな過ごし方ですよ。
姫野:言えてます、それ! では、自分に飽きたらバイオリンを弾け!ってことで! そのときはオルフェ銀座に電話しろってことで、今日は〆です!
(インタビュー・文 姫野哲)
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