楽器の中身
姫野:なんか、久しぶりですよね?
結月:5月はゴールデンウィークがあったり、わたしが中国へ行っていたりしていましたからね。
姫野:中国へはバイオリンの仕入れのためですか?
結月:いえ、もう中国で買い付けはしないですね。10年くらい前はよくしましたけど。
姫野:どうしてです?
結月:単に物価が高くなったからです、中国の。本当に凄まじい変化ですからね。10年前は中国人が銀座であれだけの買い物をするなんて考えられなかったです。ともかく、物価が本当に高くなりました。
姫野:それでも日本よりは安いんでしょう?
結月:いえいえ、モノにもよりますが、日本のほうが安いという印象ですね。日用品だと同じくらいで、ただ日本にはドンキとか100円ショップがありますから、それを考えたら日本のほうが安いです。吉野家だって上海や北京で食べるほうが高いですし、飲食系は中国のほうが高い感じでしょうか。
姫野:もうそんな状態なんですね。
結月:ですから、中国でバイオリンを買い付けて、日本で販売しようとしてもあまりお得感がなくなったんです。ですから、日本の業者も中国製をしっかりと扱うところは少なくなりました。それより物価変動が中国ほどでないハンガリーとかルーマニアとかはよくあります。中国より物価は安いし、イメージ的には一応、ヨーロッパなので。
姫野:中国製のバイオリンってどうなんですか?
結月:まあ、たくさん作っていますからね。生産数では世界一ではないでしょうか。なので、クオリティの差もあります。でも、ちゃんとした工房でしっかり作られているのはかなりいいですよ。うちでまだ在庫で持っているものなんて、中途半端なイタリアの作品よりも音がいいですし。だって、その工房にはイタリア人が買い付けに来るって言っていましたよ。
姫野:ええっと… どういうことでしょうか?
結月:ニスを塗っていない白木の状態のバイオリンをイタリア人が中国の工房で買って、それをイタリアでイタリアのニスで仕上げてイタリア製として売るためですよ。
姫野:えっ! そんなことがあるんですか!
結月:イタリアだけでなく、ドイツのメーカーでも中身は中国製というのはありますね。
姫野:家電製品ではそういうのが多いと聞いたことがありますが、バイオリンもなんですね。
結月:それだけ質がいいってことですよ。だって、イタリアやドイツの業者が品質的に自分たちのラベルでいけると思って買い付けるのですから。中国製といって馬鹿にする時代はとっくに終わっているのが現実です。
姫野:そうなんですね。
結月:ヨーロッパメーカーの中身が中国製というのは、一応、弦楽器業界のタブーというか秘密というか、あまり公にはしませんでした。だって、お客さんがドイツやイタリア製と思って買うのですから。でも、楽器屋の従業員だって、専門的でないひとはそれがどう作られたかは知らないという感じだったんです。でも、業界も随分変わったし、中国製が劣悪なものという代名詞の時代は終わったので、もう隠すことはないかなと思います。むしろ、それをちゃんと説明して販売するほうがいいですよ。知らん顔して売るよりも。
姫野:なるほど。
結月:あとはお客さんにも変化があります。昔は中国製と聞くと、嫌がる世代が多かったんですよ。例えば団塊世代とか。ところが団塊世代は引退の時代になって、若い世代は特に中国製にそれほどアレルギーがない。お客さんの層が変わってきて、店も中国製と言いやすくなりました。ほんと、昔はモノはいいのに中国製というと眉をひそめるひとが多かったんです。
姫野:それは確かにありますね。古い世代は中国アレルギーが強いです。いわゆる嫌中本を買い支えているのは若年層でなく、団塊世代らしいです。
結月:若年層はアイフォンを買っても中国製だし、良質な中国製が普及しているときに育っています。と同時に、ドイツやフランスにそれほど憧れもないです。だから、アレルギーなしに自然に受け入れているんだと思います。
姫野:わかります、それ。
結月:あとまあ、これも話してもいいでしょうが、ドイツの量産バイオリンは中身がルーマニア製のことも多いんです。ドイツメーカーの名前は違うけど、作っているところは同じという具合で。自国より物価の安い国で作って輸出するというのは、ビジネスとしてはおかしくはないですから。
姫野:つまり、お客さんがそれを納得して買っているかどうかってことですよね。
結月:はい。あとどこまでこだわるかです。本当にドイツで作られたものという生産地にこだわるのか、内容と価格がよければいいという本質にこだわるか。
姫野:難しいところですね。
結月:ええ。これは好みというか、性格の問題なので。わたしは本質派なので、いい楽器であることが前提で、その次にどこで作られているかを考えます。だって、イタリアなんて値段が高いだけで、楽器としてつまらないものはたくさんありますから。ブランド信仰でいると、バイオリンの場合はうまくいきません。でも、ブランドと品質が一致するすばらしいものもあります。そういうのは安くは買えませんよ。
在庫が要らなくなった!
姫野:そう言えば、結月さんのところって、あまり在庫していませんよね。大きな楽器店だとたくさん並べていますが…
結月:はい。その理由は、日本には世界中の楽器が輸入されていて、もう開拓する余地はなく、持っている必要がなくなったからです。つまりいくらでも入手できるという状態。なので、わざわざ在庫しなくても楽器は手に入るわけです。また、お客さんのニーズや好みはそれぞれなので、それを伺ってから楽器を探してきてご覧いただくほうがお互い無理がないと思うんですよ。在庫すると、どうしてもお客さんのニーズに合わなくても、無理に売らなきゃならないときがありますから。大きい会社だと不動在庫はなんとかしなくちゃならないので、とにかく売れってお達しが来るんですよ。
姫野:ノルマなんかもあったりしますからね。
結月:はい。そうなると、そのお客さんのために何がいいかという売り方ができなくなる。それに在庫を揃えるよりも、臨機応変に動けたほうがフットワークが軽く、いいものをゲットしやすいので。前にも言いましたが、バイオリンという楽器は同じモデルでも品質にムラがあるから、いいものをその都度探してくるというほうがわたしはやりやすいです。ちょっとお待たせすることにはなりますけどね、探す時間として一週間くらい。
姫野:受注生産でないけど、相談を受けてのオーダーメイドって感じですね。
結月:ええ。特に初心者はどんな楽器がいいかわからないのだから、どれくらいの予算なのか、ニスの色の好みはどうかなど伺ってから動いたほうが確実なんです。それにすべてのニーズに応えようとすると、とんでもない在庫になるから、それは無理ですよね。ですから、日本国内で共有されているといっていいたくさんのバイオリンの中から、わたしが専門家としての目でいくつか選んでご覧いただくようにしているんです。そのほうが選びやすいですしね。
姫野:どこかの記事で読んだんですが、人間って数がたくさんありすぎると、もうわからなくなって選べなくなるんですってね。ですから、スーパーの陳列なども同じジャンルのものは3つまでがいいみたいですよ。
結月:でしょうね。マヨネーズやポン酢だってたくさんあっても選びにくいですね。でも、そうした食品はイメージを具体的に舌の上で感じられるからいいですが、バイオリンって初心者やアマチュアだと何がいい楽器なのかってさっぱりわからないので、たくさん見てしまうと混乱するんです。結局、何を買えばいいのかわからなくなって。
姫野:だから、結月さんのように選択を絞るひとがいるといいってことですね。
結月:はい。そう思ってやってます。
(インタビュー・文 姫野哲)
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