
初心者のためのバイオリンって?
姫野:結月さんはオルフェ銀座として初心者が使う楽器は、どういうことが大事だとお考えですか?
結月:やはり予算ですよね。予算の中に納まるくらいがいいです。
姫野:でもバイオリンってピンキリですよね。よくニュースで聞くように何億円のものなどありますから、とても高いイメージがあります。
結月:ああいうのは特殊なものです。骨董的価値や投機的な要因も入ってきますし。現実には初心者が買うバイオリンは高くても数十万円くらいです。それでも十分に使えますので。
姫野:数十万円でも高いとぼくなんかは思ってしまいます…
結月:そうですね、ただ分厚い板を手で削り出して、ニスを何度も重ね塗りをしてバイオリンはできあがるので、手間がかかります。それを海外から輸入しているので、ちょっとまともな楽器だと、それなりの値段はしますね。家電製品のように工場でロボットが作るというわけにいかないので。
姫野:確かに工芸品みたいなところがあるんでしょうね、バイオリンって。でも、バイオリンが続くかどうかわからないという不安があるひとは数十万って、やっぱり迷うプライスではないですか?
結月:そうなんですよ。だから、オルフェ銀座では弓やケースなど必要なものはすべてセットにしたもので10万円くらいから用意しています。入門向けとしてはいいところだと思います。
姫野:音って違うんですか?
結月:バイオリンは作る工程や材料の質によって音が変わりますね。あとは作る職人の技術レベル。値段が高くなるほど、材料をいいものを使ったりしますから、比べれば音は違います。
姫野:上を見るとキリがないということでしょうか。
結月:まあ、高い楽器はいくらでもありますから。ただ、値段が高いと言っても、いい音がするとは限らないんです。
姫野:えっ! 本当ですか!?
結月:やはり材料が木ですからね。出来にムラはありますし、値段って音につけるものじゃないので。いい音が出るから、高い値段になるというものではありません。
姫野:ええっと… どういうことでしょうか?
結月:多分、姫野さんは家電製品のようにスペックで考えていると思うんですよ。
姫野:はい。値段が高いものは性能がいいですよね。
結月:バイオリンはそういうものではなく、基本的に仕入れ値に対して価格が付くので、音が悪くても仕入れ値が高いと、それに見合った値段になります。
姫野:なるほど。
結月:ということは、楽器の水準的には同じものでも、作る国の人件費や物価事情、さらに為替で仕入れ値はいくらでも変わりますよね。運搬費用だって距離によって違いますし。
姫野:はい。
結月:そういうことがあるので、100万円で値が付けられた楽器よりもある50万円のもののほうが音はいいってことはよくあるんです。
姫野:楽器って、値段じゃないんですね。
結月:そうですね。そうかもしれないし、そうでないかもしれません。ある有名作家が作ったバイオリンだと材料もよく、出来も良ければやっぱりこれくらいの値段はして当然だよねってものもありますから。でも一方で、有名作家のものでも出来がいまいちで音が悪いものもあって、それでもその作家の値段になるから高いです。
姫野:値段に見合うものと見合わないものが混ざってる?
結月:バイオリンは家電製品のようにまったく同一のものはないので。ですから、初心者向けのものなら、そうした個別の差異がある中で、10万円セットならここのメーカーがいいんじゃないかというわたしの目で選んで用意してます。同じように20万円なら、30万円ならこれがいいっていう見方ですね。
姫野:やっぱ、バイオリンって難しいです。
結月:だから、初心者は何を買っていいかわからなくなるんです。バイオリンがどういうものか専門的な知識は当然ありませんし。なので、まずは予算で決めるのがいいです。予算さえ決まれば、その範囲でベストな選択で楽器を用意できますから。それを決めないと100万より200万、200万より300万となって際限がなくなりますから。
姫野:結月さんが予算とおっしゃった意味がわかりました。
安すぎる楽器は…
結月:予算の中で最善の楽器で弾けば、買い物として間違いないですよ。ただ、バイオリンが続くかどうかという不安のせいで、極端に安い予算だと困りますね、やっぱり…
姫野:例えば、2万とかですか?
結月:2万じゃ無理ですね。あるにはありますよ。ネット通販とかもっと安いものもあります。でも、それ、楽器としてちゃんと機能してるの?と考えたら、楽器を激安で作るなんて無理ですから。
姫野:それはそうですよね。
結月:だって、消耗品の弦だって4本でまともなものは安くても数千円はします。それに楽器本体、弓、ケースをつけて2万だと、楽器の本体がいくらかって話になります。
姫野:そういう意味で、やはり10万くらいからということですね?
結月:レッスンとしては成り立つだろうと思います。バイオリンが続くかどうかわからないので、とりあえず安いものでっていう考え方は自然ではあるのですが、逆に安いもので始めたから続かないということは多々あります。
姫野:音の問題ですか?
結月:ある程度いい音が出る楽器のほうが弾いていて楽しいです。楽しいから続く。あとは弾きやすさです。レスポンスの悪い楽器は弾きにくし、弾きにくい楽器で練習すると、無理に鳴らそうと力が入るので悪い癖もつきます。弾いていて疲れますしね。あとは音が内に籠って外に出ない楽器も弾いていてストレスが溜まります。そういう楽器の不出来のせいでバイオリンが続かないことにつながります。
姫野:なるほど。
結月:だから、初心者だからこそ、最低限の楽器は持ってほしいです。逆に高すぎるものは必要ありません。
姫野:それはどうしてですか?
結月:それこそ続かないかもしれないからです。あと、自分の音の好みはある程度弾けるようになってからわかるものです。高い楽器を持つのは、弾けるようになってから考えても遅くはありません。また手の大きさのこともありますから。
姫野:手の大きさ?
結月:男性だとそれほど問題にならないのですが、女性だと小さい手のひとがいて、指が届かないときもあるんです。そういう場合はネックの細いものを選ぶとか、場合によってはフルサイズより小さい7/8サイズにするという選択肢が出てきます。
姫野:バイオリンって全部同じ大きさじゃないんですか?
結月:今作られているものは、ボディサイズはほとんど同じです。古い楽器だとわずかに小さいものや大きなものもありますが。ただ、ネックの太さは工房で少し違っていたりしますね。
姫野:そういうチェックが必要なんですね。
実は弓が大事!
結月:あと、楽器本体も当然ですが、弓が大事ですよ。
姫野:弓って、バイオリンを弾くのに擦っている棒ですよね。
結月:はい。馬の尻尾の毛が張ってあります。そして、スティック部分はフェルナンブーコというブラジルで採れる木材を使っています。
姫野:その弓がどうして大事なんですか? 音が出ているのが楽器ですよね?
結月:まずその楽器の能力を引き出すのが弓なんですよ。弓が悪いと、いくらいい楽器を持っていても、その楽器のキャパは発揮させられません。
姫野:ということは、弓で音が変わるってことですか?
結月:はい。全然違いますよ。同じ楽器でも弓が変われば。
姫野:やっぱ、奥が深いですね!
結月:あとは操作性です。音のコントロールは基本、弓を持つ右手でやるので、質の悪い弓は操作性が劣るんです。というか、弾きにくい。
姫野:ええっ、バイオリンは右手で弓を持って、左手で弦を押さえるってことでいいんでしたっけ?
結月:はい。左手で指板にある弦を押さえます。
姫野:テレビでバイオリニストが演奏しているのを見ると、左手のほうが忙しくて大変そうですが。
結月:まあ、大変と言えば大変ですが、重要度は右手がはるかに上です。
姫野:そうなんですか。
結月:左手は弦の長さを変えて音程を取るための役割、あとはヴィブラート、音を揺らすやつですね。もちろんそれらも大切ですが、音の根本を担っているのは音そのものを出している右手なんですよ。
姫野:確かに。弓で擦って楽器が鳴っているわけですものね。
結月:はい。どういう音色を出すかって、右手なんです。さらに音楽には曲によって激しい曲や甘いメロディ、悲しい旋律など様々なシーンがあります。それを表現するのは右手の仕事なんです。ですから、右手はどんな表現にも対応できるように、いつでも七変化できなければならないんです。
姫野:なるほど。
結月:さらに楽譜によっては非常に細かいパッセージなどがある。それを弾くには当然、操作性が良くないと弾けません。
姫野:だんだん、わかってきました。
結月:あとは材料が悪い弓はバランスが悪いので操作性に悪影響が出ますし、音色が悪いです。音がぼわっとしてしまってまとまりがないというか。発音も悪いです。
姫野:では、初心者でも弓はいいものは持ったほうがいい?
結月:理想はそうです。でも、いい弓はそれなりに値段が高いですし、どこかで妥協するしかありません。ただ、弓の材料は枯渇してきているので、本当にいい弓は少なくなりました。
姫野:材料の枯渇?
結月:はい。さっき申し上げました弓の材料、フェルナンブーコですが、これが少なくなっているんです。なので数十万の弓でも「これはちょっと…」というものもあります。昔は初心者向けの安い価格帯でも、そこそこ使えるのがあったんですよ。ところが今は軒並み駄目ですね。ほとんど使い物になりません。
姫野:じゃあ、どうすればいいんです!?
結月:そういう事情があって、弓をカーボン素材で作ったりしています。昔、カーボンが出てきたときは単に硬いだけで弓としては使えませんでしたが、随分技術が良くなってカーボンでもまあまあのものが出てきました。ですから、わたしは初心者向けの弓はカーボン弓をバイオリンセットに付けています。
姫野:弓がカーボン!?
結月:まあ、細かいところを言えば、音色を作るにはカーボンより良質の木の弓のほうがいいです。でも、材料が悪い弓は腰がなくて不安定で弾きにくいんです。その点、カーボンはとりあえず腰はあるので、初心者にはいいかと思います。
姫野:弓に腰がない? 演奏上の問題ですね。
結月:要は材料が悪くてグニャグニャの弓だと、初心者が真っ直ぐに弾こうと思っても弓が流れてしまって駄目なんです。音も最悪ですし。
姫野:弓が大事な意味がわかってきました。
結月:音を出す根本は弓、表現する源は右手だと考えていただければいいです。だから、弓は大事ということです。
姫野:なるほど。
結月:楽器本体のほうは弦の種類を変えたりすれば、ある程度音色はどうにかできます。でも弓は形状がシンプルなのでいじくりようがないんですよ。駄目な弓は駄目でしかないんです。
姫野:値段は楽器より弓のほうが安いんですよね?
結月:そうです。だから皆さん、最初は値段が高い楽器本体のほうに重点を置きがちですよ。でも、弓は本当に大事です。
姫野:そうなると、初心者に楽器選びは大変ですね。初心者だとどの弓がいいかわからないし、値段が高くても悪い弓がある事情だと、値段で選ぶこともできません。
結月:そうですね。先生に訊くといっても、いろんな先生がいて楽器のことはわからない場合も多々あるし、先生の質も様々ですし。楽器店もそれぞれの営業方針でやっているので一律ではありませんしね。こればかりはどうにもならないです。わたしが言えるのはわたしがやっているオルフェ銀座ではこうですよ、ということだけで、それ以外のところではわかりません。楽器店によっては弓なんて安いのでいいというところだってあるかもしれないし。
姫野:確かに。
結月:なので、バイオリンってすべてが相性なんですよ。どの教室に通うか、どの先生に習うか、どこの楽器店で買うのか、そういったものは運命的な相性から来る出会いだと思いますよ。それによってどういう楽器を持つことになるかが決まるのではないでしょうか。
<インタビュー・文 姫野哲>
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